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韓国、北朝鮮に新大久保でヘイトスピーチかましてる日本人に読んでほしい一冊。
難民状態(帰る国があるので正確には難民ではない)の日本人に手をかしてくれた韓国人はたくさんいる。
また、こういった極限状況でいかに、女であることや子持ちであることが大変なことだと感じる事ができた一冊。たまたま生き残ることができた話なのだが、死んでしまった人たち特に子供は多かっただろう。
レイテの台風のあと、朝日新聞の一面に出てきた配給の列でもらうために手をだしているだろう人々の写真が男ばっかりであることが気に留まった。母子家庭は生き残る事を困難にする。
女性の社会進出について日本は完全に後進国だけど女子であることがそこまで不利に感じたことはない。だからプランがやっているBecause I am a Girlプロジェクトも、いまいち実感できないものがあった。
食料も水も力の強い男がとっていってしまう。子供の面倒をみながら仕事を探したり食料を手に入れたり女子がひとりで生きるのは困難だ。
ましてや、3人の子供を抱えて38度線をこえて日本までかえってくるなんて並大抵のことではない。
難民状態(帰る国があるので正確には難民ではない)の日本人に手をかしてくれた韓国人はたくさんいる。
また、こういった極限状況でいかに、女であることや子持ちであることが大変なことだと感じる事ができた一冊。たまたま生き残ることができた話なのだが、死んでしまった人たち特に子供は多かっただろう。
レイテの台風のあと、朝日新聞の一面に出てきた配給の列でもらうために手をだしているだろう人々の写真が男ばっかりであることが気に留まった。母子家庭は生き残る事を困難にする。
女性の社会進出について日本は完全に後進国だけど女子であることがそこまで不利に感じたことはない。だからプランがやっているBecause I am a Girlプロジェクトも、いまいち実感できないものがあった。
食料も水も力の強い男がとっていってしまう。子供の面倒をみながら仕事を探したり食料を手に入れたり女子がひとりで生きるのは困難だ。
ましてや、3人の子供を抱えて38度線をこえて日本までかえってくるなんて並大抵のことではない。
PR
この本を読んで理解した上で、NGO活動家になった人はたくさんいるだろうが、広告業に携わろうと思う人は多分いない。医者なら、いい医者がいて悪い医者もいるで済む。教師も同じ。だけど資本主義に寄り添った広告業は業態そのものを否定される。諸悪の根源と言っていいくらいに。
私が子供の頃から両親が私に言って聞かせていたことがそのまま書かれていた。
父に今更読むの?的な態度を示されたが、今だから読んでおいてよかったと思う。
震災後の日本は壊滅的か?
いやいや、絶対そんなことはない。国の体制がととのっているということがどれほど重要なことなのか、震災によって証明されたとすら思うし、これから東北からは日本のリーダーになり得る若者でてくる期待さえできる。
私なんかはむしろ、震災後の東京の、物資の不足がむしろ正常に思えた。普段はモノがあふれすぎているのだ。
異常な量の食料品が深夜の閉店間際になっても並ぶ店は見ただけで吐き気がする。なぜかというと、あれらすべて、開発途上国の子供やら貧しい栄養失調の人々を不等な価格で働かせて成り立っている豊かさだからだ。
「アフリカの子供たちが飢えているのに、あなたは恵まれながら残すのか?」と問う人に「食卓の食べ物を残したからといって、アフリカの子供たちが危機に瀕するわけでも、また、食べたからといって助かるわけでもない」と応える人は無知だ。
先進国の食卓を必要以上に潤すために、開発途上国は飢餓に襲われ、子供は売られ奴隷となり、満足な栄養がないから脳の発達が遅れて後々にハンディキャップを背負うことになる。また、本書にかかれているわずか30センチの農耕できる土地が、化学肥料で壊され、地球が破壊されている仕組みを、理解していな人は多い。
最も有効な解決策は必要以上に買わないことだし、捨てないことだ。
日本の食料の廃棄率は30〜40%といわれている。信じられない数字だ。そのほとんどは家庭からだと言われている。表示の賞味期限がきれた場合、さらっと捨ててしまったり、好き嫌いで食べなかったり、作りすぎたり・・・原因は様々だろうがそれら総合して40%に達するのだから、日本人が食べ物を粗末に扱う癖があることは確かだ。(八百万の神を信仰する神国日本なんて嘘っぱち)
日本人には食にうるさいことをよしとする考え方がある。うるさい=かっこいい。でも、「おいしい」と書かれた箱の中身は空っぽ。
私は賞味期限というものを全く気にしない。日本の戦後世代に人々にそれを言うと信じられないという顔をされるが、よっぽど君らのが信じられない。なぜなら、人間の体のシステムはよくできていて、腐って体に害をなすものを食べられないように「まずい!」「くさい!」「おかしい!!」と全身が反応するようにできているから。それができなかった人間はとっくの昔に、猿の時代に淘汰されているはずだ。ここ数十年の間にあたまでっかちに決まった法律上の日数より、何万年もの間、生き延びる術となった機能を私は信じる。(人類がつい最近まで経験したことない放射能まではわからないが)
またノロウィルスなどの味のないウィルスは別に賞味期限に関係なく、煮沸消毒されていなければどこだって感染の恐れはある。ただ、吐いたり下したり発熱をおこしたりするのはむしろ正常な反応で、菌に対して体が戦っていればこそおこる。もちろん、反応がいきすぎた場合は薬で押さえるし、先進国の若くて栄養状態のよい自分の体だから耐えられるという前提はもちろんある。
そういえば、こういう衛生に対する感覚ってほかの人とときどきズレを感じることがある。煮沸消毒に対しての信用度より、賞味期限の方が信用度が高いのが一般的な感じがするが、私はむしろ逆。子供のときから開発途上国をつれ回される中で、母親が刷り込んだ知恵だったのかも。(別に賞味期限きれたからって煮沸するって意味じゃなくて、賞味期限切れは気にするのに、煮沸されてない開発途上国の食べ物を平気で食べる人がいるって話)ちなみに動物性タンパク質と植物だったら植物の方が多少悪くなってても平気という感覚もある。
スーパーに行けば、なるべくもうすぐ賞味期限の切れる値引きの入った商品を買う。なぜなら、賞味期限の切れた野菜や肉や魚は処分されてしまうから。
腐る前にゴミ!新しいのをまた仕入れる!!こんな異常なこと続けてたら地球は滅びるし飢餓は広まるしロクなもんじゃない。エコだのボランティアだの叫ぶ前に自分の食卓見直せよ!!
さらに言うと、ペットという文化にも私はなじめない。そもそも開発途上国なんかだと基本、飼ってる犬は家畜の見張り番であり、最悪の場合は食料になる生き物なのである・・・が・・・先進国の場合は愛玩用で、開発途上国が金銭の欲しさのあまり、飢餓に陥ってさえも極貧の人々のおなかを満たすことなく、ペットフード用の穀物として輸出している事実。人間より犬の命が重いなんて馬鹿げてる。
さらにエコロジーだとかっていって最近はバイオ燃料なんて厄介なものまで登場した。人間でさえ飢えているのに車に飯を食わせろと?
だから私の興味は東北には決して向かわない。たくさんの人が亡くなって、たくさんの人が悲しんでいるが、悲しみは本人が乗り越えるしかない性質のものだ。津波はそう何度も襲ってこない。難民キャンプの子供たちが栄養失調に陥り、満足な教育も受けられず次々と死んでいく現実も日本には存在しない。もし、政治的な悲惨さがあれば直すべきだと思うが、強力なリーダーが不在でも和をもってものごとを進めることのできる国民性という強い壁がある。戦争は事前にとめることができるが、自然災害は止められない。
先進国日本での問題など微々たるもの。「こんなときに海外に寄付するお金なんてない」という空気をNGO団体は感じているはずだ。実際、ほとんどの寄付金が震災復興にまわってしまっているはず。私はむしろ、あの震災以降、最大の問題は日本人が日本のことしか考えない自己中になったことにあると感じている。
私が子供の頃から両親が私に言って聞かせていたことがそのまま書かれていた。
父に今更読むの?的な態度を示されたが、今だから読んでおいてよかったと思う。
震災後の日本は壊滅的か?
いやいや、絶対そんなことはない。国の体制がととのっているということがどれほど重要なことなのか、震災によって証明されたとすら思うし、これから東北からは日本のリーダーになり得る若者でてくる期待さえできる。
私なんかはむしろ、震災後の東京の、物資の不足がむしろ正常に思えた。普段はモノがあふれすぎているのだ。
異常な量の食料品が深夜の閉店間際になっても並ぶ店は見ただけで吐き気がする。なぜかというと、あれらすべて、開発途上国の子供やら貧しい栄養失調の人々を不等な価格で働かせて成り立っている豊かさだからだ。
「アフリカの子供たちが飢えているのに、あなたは恵まれながら残すのか?」と問う人に「食卓の食べ物を残したからといって、アフリカの子供たちが危機に瀕するわけでも、また、食べたからといって助かるわけでもない」と応える人は無知だ。
先進国の食卓を必要以上に潤すために、開発途上国は飢餓に襲われ、子供は売られ奴隷となり、満足な栄養がないから脳の発達が遅れて後々にハンディキャップを背負うことになる。また、本書にかかれているわずか30センチの農耕できる土地が、化学肥料で壊され、地球が破壊されている仕組みを、理解していな人は多い。
最も有効な解決策は必要以上に買わないことだし、捨てないことだ。
日本の食料の廃棄率は30〜40%といわれている。信じられない数字だ。そのほとんどは家庭からだと言われている。表示の賞味期限がきれた場合、さらっと捨ててしまったり、好き嫌いで食べなかったり、作りすぎたり・・・原因は様々だろうがそれら総合して40%に達するのだから、日本人が食べ物を粗末に扱う癖があることは確かだ。(八百万の神を信仰する神国日本なんて嘘っぱち)
日本人には食にうるさいことをよしとする考え方がある。うるさい=かっこいい。でも、「おいしい」と書かれた箱の中身は空っぽ。
私は賞味期限というものを全く気にしない。日本の戦後世代に人々にそれを言うと信じられないという顔をされるが、よっぽど君らのが信じられない。なぜなら、人間の体のシステムはよくできていて、腐って体に害をなすものを食べられないように「まずい!」「くさい!」「おかしい!!」と全身が反応するようにできているから。それができなかった人間はとっくの昔に、猿の時代に淘汰されているはずだ。ここ数十年の間にあたまでっかちに決まった法律上の日数より、何万年もの間、生き延びる術となった機能を私は信じる。(人類がつい最近まで経験したことない放射能まではわからないが)
またノロウィルスなどの味のないウィルスは別に賞味期限に関係なく、煮沸消毒されていなければどこだって感染の恐れはある。ただ、吐いたり下したり発熱をおこしたりするのはむしろ正常な反応で、菌に対して体が戦っていればこそおこる。もちろん、反応がいきすぎた場合は薬で押さえるし、先進国の若くて栄養状態のよい自分の体だから耐えられるという前提はもちろんある。
そういえば、こういう衛生に対する感覚ってほかの人とときどきズレを感じることがある。煮沸消毒に対しての信用度より、賞味期限の方が信用度が高いのが一般的な感じがするが、私はむしろ逆。子供のときから開発途上国をつれ回される中で、母親が刷り込んだ知恵だったのかも。(別に賞味期限きれたからって煮沸するって意味じゃなくて、賞味期限切れは気にするのに、煮沸されてない開発途上国の食べ物を平気で食べる人がいるって話)ちなみに動物性タンパク質と植物だったら植物の方が多少悪くなってても平気という感覚もある。
スーパーに行けば、なるべくもうすぐ賞味期限の切れる値引きの入った商品を買う。なぜなら、賞味期限の切れた野菜や肉や魚は処分されてしまうから。
腐る前にゴミ!新しいのをまた仕入れる!!こんな異常なこと続けてたら地球は滅びるし飢餓は広まるしロクなもんじゃない。エコだのボランティアだの叫ぶ前に自分の食卓見直せよ!!
さらに言うと、ペットという文化にも私はなじめない。そもそも開発途上国なんかだと基本、飼ってる犬は家畜の見張り番であり、最悪の場合は食料になる生き物なのである・・・が・・・先進国の場合は愛玩用で、開発途上国が金銭の欲しさのあまり、飢餓に陥ってさえも極貧の人々のおなかを満たすことなく、ペットフード用の穀物として輸出している事実。人間より犬の命が重いなんて馬鹿げてる。
さらにエコロジーだとかっていって最近はバイオ燃料なんて厄介なものまで登場した。人間でさえ飢えているのに車に飯を食わせろと?
だから私の興味は東北には決して向かわない。たくさんの人が亡くなって、たくさんの人が悲しんでいるが、悲しみは本人が乗り越えるしかない性質のものだ。津波はそう何度も襲ってこない。難民キャンプの子供たちが栄養失調に陥り、満足な教育も受けられず次々と死んでいく現実も日本には存在しない。もし、政治的な悲惨さがあれば直すべきだと思うが、強力なリーダーが不在でも和をもってものごとを進めることのできる国民性という強い壁がある。戦争は事前にとめることができるが、自然災害は止められない。
先進国日本での問題など微々たるもの。「こんなときに海外に寄付するお金なんてない」という空気をNGO団体は感じているはずだ。実際、ほとんどの寄付金が震災復興にまわってしまっているはず。私はむしろ、あの震災以降、最大の問題は日本人が日本のことしか考えない自己中になったことにあると感じている。
「村上作品の中で一番好き」っていう人が多いのが納得。
確かに、面白い。
最後の
「僕はどこでもない場所のまん中から緑を呼びつづけていた」
っていう一節が「世界の中心で愛を叫ぶ」の響きと似ている感じがした。
セカチュウって結局、再生なんてこれっぽっちも描いてない作品なんだけど、愛と再生がテーマらしいので笑える。オーストリアとか校庭とか、骨まきゃいいってもんじゃないんだよってかんじ。
「ノルウェイの森」は大切な人を亡くしてから壊れたものを整理して新しい大切なものをつくっていく過程が丁寧におわれていて共感できる。どんな喪失感も絶望も記憶の中で整理され、いつかは形を変えてゆく。物事にはっきりとした決着や切れ目なんてないし、永遠の結論なんてものもない。
絶望とか苦しみとか、ひゃっくりみたいなものかもしれない。
忘れた頃に終わっている。
確かに、面白い。
最後の
「僕はどこでもない場所のまん中から緑を呼びつづけていた」
っていう一節が「世界の中心で愛を叫ぶ」の響きと似ている感じがした。
セカチュウって結局、再生なんてこれっぽっちも描いてない作品なんだけど、愛と再生がテーマらしいので笑える。オーストリアとか校庭とか、骨まきゃいいってもんじゃないんだよってかんじ。
「ノルウェイの森」は大切な人を亡くしてから壊れたものを整理して新しい大切なものをつくっていく過程が丁寧におわれていて共感できる。どんな喪失感も絶望も記憶の中で整理され、いつかは形を変えてゆく。物事にはっきりとした決着や切れ目なんてないし、永遠の結論なんてものもない。
絶望とか苦しみとか、ひゃっくりみたいなものかもしれない。
忘れた頃に終わっている。
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