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読んでてクラクラしちゃう内容である。

SFでも生物をディープに具体的に描きだした作品って他にない気がする。とにかくスゴイ想像力だ。死刑がなくって戦争もない世界の話である。そのヒミツは生態系にあるのだとか。惑星「冬」の人間はケメルと呼ばれる発情期以外に生殖を行わない。また、性別も決まっていないからどちらが男になり女になるかはわからない。惑星「冬」からしてみれば地球人は年中ケメル状態にある異常者だそうだ。

登場人物の姿かたちがイマイチ描けないのはこのためである。男か女かもわからないものをどうやって想像しろと?!根本的というか、小説に出てくる人物の姿形って男女からまず分けて描いていくクセがついてる気がする。その次が年齢。場面によって男か女かなんとなく変わるのである。特に主人公との絡み!なんとなく男だろうとか、あ、今は女っぽいとか。その度頭の中で描く姿が豹変する。で、クラクラしちゃうのである。

アーシュラ・ル・グウィンって強烈なフェミニストで知られているのだが、もうそんな領域超越しちゃってる感じである。

細々としたことを積み重ねて未知の世界を創造する。当たり前すぎて見落としがちな部分をうめていく。まともな頭をしていたらこんなのかけない。
この人の哲学は計り知れないものがある。
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やっと旅が終わりました。
長かった。


世界三大ファンタジーのうち読んだのは二つ目ですが、やはりハリポタは絶対にこの二つに届くことはないですね。おもしろい世界が広がってるファンタジーなら子供向けも大人向けもいくらでもあります。ただ、あまりにも現実世界のように描いてしまう物語ってそうそうないですね。

トールキン本人の言うとおり、これはあくまで事実を追ったストーリーであって作者がなにかしらの意図を持って作品世界を動かしたものではないんです。ゴクリはゴクリ、フロドはフロドの運命がそこに本当に存在したんです。なぜか。フロドとか馳男とかサムとかサウロンとかアルウェン、エオィン、すべての登場人物を創作初期の段階で確立していたからだと思います。あとは勝手に架空の人間が動いたのです。

ただ、世界大戦の影は否定しようないほどに作品世界に影響を与えていると思います。サルマンは象徴的だし、サウロンの国は明らかに戦場です。戦場に立ったことがないと描けないのではと思えるような場所です。

この作品が書かれていた頃、サルマンのようなカリスマが歴史の舞台に登場し演説で人々を死の方向へと導いていました。アメリカ合衆国ではソ連との開発競争に躍起になった科学者たちが大勢の人を一瞬で殺せる原爆、作品世界では指輪にあたるものを開発していました。

確かに作者の言う通り、もし現実に即した物語であれば、サルマンは自力で研究し一つの指輪(サウロンの指輪)のレプリカを作っていたことになるでしょう。

指輪は人間の暗い部分そのものだと映画の方のレビューで書きましたが、その点に関して特に原作と変わりはないと思います。人は皆、自分という領土を納める唯一無二の君主です。だけど、うまく納められない人って多い。誰もが心に一つの指輪を持っています。サウロンは誰の心にもいるのです。ただ、自分の意志というものをはっきりと持っている人はサウロンの支配を受けない。

ホビットが暗黒の指輪に対して強くいれるのは、大切なものの順番を間違えないからではないかと。彼らが大事にしているのは豊かな農村であり誰もが当たり前のように得られる家族や友達との幸福な時間。食べることが好きでおしゃべりもうわさ話も好き。のんびりと暮らしていける喜びを知っている。今が好きで楽しいのだ。それで村からはでないし、だからあまり知られていない種族だったりする。欲はある。だけど、欲の質が違う。

まず、何が大切でそのためには何が必要で、何をしなければならないか。

“何が大切か”という部分を人間はすぐ忘れてしまう生き物だ。暗黒の指輪は自分にとって大切なものを忘れさせ、達成したいと思っていることだけに執着させてしまう。気がつくと本末転倒している。

もし、暗黒の指輪がホビット以外の人間にでも渡っていたらもう一つのサウロンが現れ戦争は半永久的に続いただろう。

生きた物語の中で指輪の処分についてフロドが決めたことはまさに、日本の憲法9条のような内容だった。第一次世界大戦当時にかかれたこの物語に第二次大戦後に作られた、世界の反省文がでてきたのは驚きだった。

サウロンと同じ方法でサウロンと戦えば、必ずもう一つのサウロンを生み、それでは意味がない・・・と。

ラストのフロドも現実的だった。“みんなが与えられて当然の幸福を与えられるために誰かの人生が犠牲にならなければならなかったのだよ”と、そしてそれが“自分だった”とサムにフロドは話す。みんな幸福に、永遠に幸せに暮らしましたなんていうハッピーエンドはこの物語のラストとして現実的ではない。
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