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現在4巻読んでます。
村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」はここが原点なのね!!
というのが1、2巻です。
2巻のテナーとゲドが暗闇から脱出するあたりで世界の終わりとかぶったんです。
そう考え出すと1巻の影も世界の終わりにかぶってくる。
あと、宮崎アニメ(オヤジのほう)も大分、着想のもとをもらってんだな~~と思いました。
(でも、両者とも、着想をもらってそこから自分なりの物語を展開してるからそっくり真似リンってわけじゃない。)
すげーよくできてんな~~というのが印象。
あらゆる伏線がはってあって象徴的な表現がいくつもあって面白い。
すべてのことに意味がある。
3巻の波の音がレバンネンにははじまりを意味する言葉に、
ゲドにはおわりを意味する言葉に聞こえるシーンとか、
いかだ族と終末を意味する神聖文字を夜空に見るシーンから
黄泉の国での封印までの伏線、象徴がなかなか面白い。
ファンタジーのルールってのがよく練ってある。
好都合に使えない魔法というのがいい。
大賢人はロークにいてこそ大賢人で魔法使い。
一歩出れば生身の人間にすぎないという描写もなかなか。
あぁ、確かに現実ってそういうものよね・・・・
社長は会社にいてこそ社長、
優等生は学校にいてこそ優等生。
そこから一歩出て生身の人間になったときに
力は発揮される。
1巻:簡単。結末よめよめ、影の真の名なんてすぐわかっちゃうし。児童文学だね。
2巻:テナーとどうなるの?っていう意味でおねーさんはドキドキ。子度向けファンタジー。
3巻:おっ、なんか面白くなってきた!テーマは相変らず子供向けだけど、伏線とか象徴とかでかなり読ませてくれる!
という感じで読み進めてましたが、
現在4巻。
これ、児童文学ですよね?(^^;
大分テナーが大人の女にしか実感できんようなことたまに言い出すんですが。
マジ?あり?
こんな調子で5巻と番外はどーなるんだ?
子供むけはいずこへ?!
村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」はここが原点なのね!!
というのが1、2巻です。
2巻のテナーとゲドが暗闇から脱出するあたりで世界の終わりとかぶったんです。
そう考え出すと1巻の影も世界の終わりにかぶってくる。
あと、宮崎アニメ(オヤジのほう)も大分、着想のもとをもらってんだな~~と思いました。
(でも、両者とも、着想をもらってそこから自分なりの物語を展開してるからそっくり真似リンってわけじゃない。)
すげーよくできてんな~~というのが印象。
あらゆる伏線がはってあって象徴的な表現がいくつもあって面白い。
すべてのことに意味がある。
3巻の波の音がレバンネンにははじまりを意味する言葉に、
ゲドにはおわりを意味する言葉に聞こえるシーンとか、
いかだ族と終末を意味する神聖文字を夜空に見るシーンから
黄泉の国での封印までの伏線、象徴がなかなか面白い。
ファンタジーのルールってのがよく練ってある。
好都合に使えない魔法というのがいい。
大賢人はロークにいてこそ大賢人で魔法使い。
一歩出れば生身の人間にすぎないという描写もなかなか。
あぁ、確かに現実ってそういうものよね・・・・
社長は会社にいてこそ社長、
優等生は学校にいてこそ優等生。
そこから一歩出て生身の人間になったときに
力は発揮される。
1巻:簡単。結末よめよめ、影の真の名なんてすぐわかっちゃうし。児童文学だね。
2巻:テナーとどうなるの?っていう意味でおねーさんはドキドキ。子度向けファンタジー。
3巻:おっ、なんか面白くなってきた!テーマは相変らず子供向けだけど、伏線とか象徴とかでかなり読ませてくれる!
という感じで読み進めてましたが、
現在4巻。
これ、児童文学ですよね?(^^;
大分テナーが大人の女にしか実感できんようなことたまに言い出すんですが。
マジ?あり?
こんな調子で5巻と番外はどーなるんだ?
子供むけはいずこへ?!
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泣いた。
ほんとショックだった。
これだけ長い期間に渡って登場していたのに・・・・
従来のバレエ漫画(昔この作者も描いていたようなの)と違って
教育、“育てる”という立場に立ったかなり珍しい漫画。
この子はどう育てたらよいのか、
周りの大人が必死に考えて
自分なりの回答で子供を育てているという
なかなか面白い漫画。
従来のバレエ漫画はスポ根同様、主人公は自分より強い(上手い)キャラにコンクールとかで勝って次の相手が登場するのが定番的展開。ローザンヌが舞台になったりしやすい。(オリンピックみたいな世界一決定戦がないからやろうと思えばいくらでも長く連載できた。)
「SWAN」有吉京子、「アラベスク」山岸涼子あたりを読んでいた読者が親世代になった・・・ともとれる。
●知らないことは教えられない
千花が自殺するまでの状況、不安定な心理状態を丁寧におっている。
内容がタイムリーすぎて怖い。
怪我してできなくなってしまったときに
「大丈夫だよ、すぐ元通りになるよ」とか
「あんたなら平気でしょ」
みたいなこと言われるのって辛いんだよね。
元通りってまずありえないから(苦笑)
私も怪我する前は怪我した人の気持ちってぜんぜんわかってなくて
こういうこと平気で言ってたかもしれない。
だから悪意がないのはわかるんだけど・・・
たとえばこれが高校生くらいの子だったら、
耐えられなかったかも・・・。
子供の視野は狭い。
自殺の理由の答えはおそらくいじめではないのだ。
千花は怪我をしてバレエが踊れなくなったにも関わらず
周囲にバレリーナでいることを強要された。
母親も周りの大人もバレエ関係者ばかりで
彼女に人生における他の視点というものを教えることができなかった。
母親の嘆きに作者が伝えたいことが伝わってくる。
自分が知らないことは子供には教えられない・・・のだ。
医者は自分の息子を医者にしようとする。
歯医者の息子は歯医者になろうとする。
画家の娘は画家に、教師の子供は教師に、
スポーツ選手の子供はスポーツ選手に・・・
なぜなら、親が成功した道なら成功する可能性が高く感じまた、
イメージがつきやすいのではないだろうか。
親も自分の子供にはちゃんとした生活を生涯送ってほしいと思っているから
ちゃんとした生活をしている自分の人生を
子供に押し付ける傾向にある。
では、ちゃんとしたと親が思うような生活に
どれだけの回答例があるかというと
一つだけなのだ。
学校にちゃんと行く・・・というのも
大人たちが勝手に作った回答例で、
100人の子供が全員その回答を
出さなければいけないわけじゃない。
10人がいたら10通りの回答がある。
それが人生というもの。
学校は昔だったら・・・・・できた当初は、
親の職業から離れて別の選択肢も
あることを知る場所だったはずだ。
少なくとも、第三世界の学校には
そういう意義があるものになっている。
なのに、最近では視野が広がるどころか
狭まる場所になってしまった。
私は親の職業と全く正反対の職業に就いた。
深夜残業、徹夜に休日出勤・・・・就職当初はオヤジの猛反対にあった。
12時すぎに帰宅してそこから毎晩ケンカ。
さらに睡眠時間を削られて消耗する私を母親は心配していた。
23歳にもなってはじめて、親と本気で衝突した。
親と違うものになろうとしたわけではなかったけれど、
いつのまにか私は親の思考の範囲から出てしまっていた。
議論のはては「世の中に本当に貢献する職業は何か」
というところまでたどり着いた。
貢献する相手も不明確なままだけど
母親は「教育だ」という。(教師だからな・・・)
父親は「海外協力だ」という。(現在はNGO)
残念なことに私はデザイナーが生まれる家には生まれてこなかった。
ここから先は自力で考えなくてはならない。
私の回答はまだ見つかっていない。
ほんとショックだった。
これだけ長い期間に渡って登場していたのに・・・・
従来のバレエ漫画(昔この作者も描いていたようなの)と違って
教育、“育てる”という立場に立ったかなり珍しい漫画。
この子はどう育てたらよいのか、
周りの大人が必死に考えて
自分なりの回答で子供を育てているという
なかなか面白い漫画。
従来のバレエ漫画はスポ根同様、主人公は自分より強い(上手い)キャラにコンクールとかで勝って次の相手が登場するのが定番的展開。ローザンヌが舞台になったりしやすい。(オリンピックみたいな世界一決定戦がないからやろうと思えばいくらでも長く連載できた。)
「SWAN」有吉京子、「アラベスク」山岸涼子あたりを読んでいた読者が親世代になった・・・ともとれる。
●知らないことは教えられない
千花が自殺するまでの状況、不安定な心理状態を丁寧におっている。
内容がタイムリーすぎて怖い。
怪我してできなくなってしまったときに
「大丈夫だよ、すぐ元通りになるよ」とか
「あんたなら平気でしょ」
みたいなこと言われるのって辛いんだよね。
元通りってまずありえないから(苦笑)
私も怪我する前は怪我した人の気持ちってぜんぜんわかってなくて
こういうこと平気で言ってたかもしれない。
だから悪意がないのはわかるんだけど・・・
たとえばこれが高校生くらいの子だったら、
耐えられなかったかも・・・。
子供の視野は狭い。
自殺の理由の答えはおそらくいじめではないのだ。
千花は怪我をしてバレエが踊れなくなったにも関わらず
周囲にバレリーナでいることを強要された。
母親も周りの大人もバレエ関係者ばかりで
彼女に人生における他の視点というものを教えることができなかった。
母親の嘆きに作者が伝えたいことが伝わってくる。
自分が知らないことは子供には教えられない・・・のだ。
医者は自分の息子を医者にしようとする。
歯医者の息子は歯医者になろうとする。
画家の娘は画家に、教師の子供は教師に、
スポーツ選手の子供はスポーツ選手に・・・
なぜなら、親が成功した道なら成功する可能性が高く感じまた、
イメージがつきやすいのではないだろうか。
親も自分の子供にはちゃんとした生活を生涯送ってほしいと思っているから
ちゃんとした生活をしている自分の人生を
子供に押し付ける傾向にある。
では、ちゃんとしたと親が思うような生活に
どれだけの回答例があるかというと
一つだけなのだ。
学校にちゃんと行く・・・というのも
大人たちが勝手に作った回答例で、
100人の子供が全員その回答を
出さなければいけないわけじゃない。
10人がいたら10通りの回答がある。
それが人生というもの。
学校は昔だったら・・・・・できた当初は、
親の職業から離れて別の選択肢も
あることを知る場所だったはずだ。
少なくとも、第三世界の学校には
そういう意義があるものになっている。
なのに、最近では視野が広がるどころか
狭まる場所になってしまった。
私は親の職業と全く正反対の職業に就いた。
深夜残業、徹夜に休日出勤・・・・就職当初はオヤジの猛反対にあった。
12時すぎに帰宅してそこから毎晩ケンカ。
さらに睡眠時間を削られて消耗する私を母親は心配していた。
23歳にもなってはじめて、親と本気で衝突した。
親と違うものになろうとしたわけではなかったけれど、
いつのまにか私は親の思考の範囲から出てしまっていた。
議論のはては「世の中に本当に貢献する職業は何か」
というところまでたどり着いた。
貢献する相手も不明確なままだけど
母親は「教育だ」という。(教師だからな・・・)
父親は「海外協力だ」という。(現在はNGO)
残念なことに私はデザイナーが生まれる家には生まれてこなかった。
ここから先は自力で考えなくてはならない。
私の回答はまだ見つかっていない。
「あんなあぶないもの(原子爆弾)は、
ビルマの坊さんにでもあずけておくのが
一番いいだろう」
時期的に手にとってみたくなった一冊。
作者の竹山さんはドイツ文学の研究者で戦前にナチス・ドイツの非を指摘した論文を書いていた。その同じ人が戦後、非難の対象となった日本軍にかりだされ、遺体すら戻ってこなかった若者たちの追悼文章を書いたのが「ビルマの竪琴」だった。
ファシズムという流行に勝手にのって
今度は敗戦だと大騒ぎする子供のような国を
親の立場から見守っていたような人だと思う。
●今の日本とかわらない
読んでいるとよく分かる。
今の日本はこのころと何も変わっていない。
戦争で勝てば国際的な発言権を持てるものと思っている。
人口、国土、天然資源の採取量・・・他国と比べてこれほど小さく、
これほどの発言権がある国もすでに無いと思う。
逆に今以上の発言権を得たいならば
戦争よりも経済を発展させることだ。
経済力はそのまま権力になる。
戦争にたとえ勝ったとしても、
経済力で負けたら結局、
発言権は経済力のある国にもっていかれるのがオチ。
もっとも恐ろしいのは
この頃の人口は今より少ない。
食料自給率の悪い日本で今、もし昔と同じことが起きたら、
包囲網がつくられてしまったら、
国民全員餓死するしかなくなるだろう。
本当に発言権が弱い理由は結局ここに起因している気がする。
日本はひとりじゃ生きていけない国なのだ。
食料自給率の悪さ、
天然資源採取に期待できない国土。
どれをとっても独立国家として不十分だが
それでもこれだけの経済力をもてたのはまれな技術力があったから。
社会不満が高まると戦争は起きる。
安易でわかりやすいな解決策をみんなが求めるから。
今の日本は戦前と似ている。
経験していない私ですらそう思う。
自分の身近な人たちを
前線に送らなければいけない日を
想像するとゾっとする。
●遺骨
「日本軍の遺骨があって、すっごいきれいな海岸なんだけど一部の洞窟みたいなとことかは立ち入り禁止なの」
パラオに行った友達がはなしていた。
硫黄島にも日本人の遺骨が回収されずに残されている。
後始末はまだついていない。
「おかーさん、どうしてあそこの洞窟には近づいてはいけないの?」
という何気ない質問から日本への憎しみが広まったりしないだろうかと
不安になった。
自分の家の近くに外国人の遺骨がちらばってる洞窟があったら
どういう気持ちになるのかな・・・
元首相とかも、靖国に参拝するくらいなら遺骨の回収すればいいのに。
こんなときだけ都合よく千の風なってとんでくるんでしょうか?
参拝する暇があったら骨ひろうくらいしてくれたっていいじゃない?
あたしはそう思うのですけれど。
ビルマの坊さんにでもあずけておくのが
一番いいだろう」
時期的に手にとってみたくなった一冊。
作者の竹山さんはドイツ文学の研究者で戦前にナチス・ドイツの非を指摘した論文を書いていた。その同じ人が戦後、非難の対象となった日本軍にかりだされ、遺体すら戻ってこなかった若者たちの追悼文章を書いたのが「ビルマの竪琴」だった。
ファシズムという流行に勝手にのって
今度は敗戦だと大騒ぎする子供のような国を
親の立場から見守っていたような人だと思う。
●今の日本とかわらない
読んでいるとよく分かる。
今の日本はこのころと何も変わっていない。
戦争で勝てば国際的な発言権を持てるものと思っている。
人口、国土、天然資源の採取量・・・他国と比べてこれほど小さく、
これほどの発言権がある国もすでに無いと思う。
逆に今以上の発言権を得たいならば
戦争よりも経済を発展させることだ。
経済力はそのまま権力になる。
戦争にたとえ勝ったとしても、
経済力で負けたら結局、
発言権は経済力のある国にもっていかれるのがオチ。
もっとも恐ろしいのは
この頃の人口は今より少ない。
食料自給率の悪い日本で今、もし昔と同じことが起きたら、
包囲網がつくられてしまったら、
国民全員餓死するしかなくなるだろう。
本当に発言権が弱い理由は結局ここに起因している気がする。
日本はひとりじゃ生きていけない国なのだ。
食料自給率の悪さ、
天然資源採取に期待できない国土。
どれをとっても独立国家として不十分だが
それでもこれだけの経済力をもてたのはまれな技術力があったから。
社会不満が高まると戦争は起きる。
安易でわかりやすいな解決策をみんなが求めるから。
今の日本は戦前と似ている。
経験していない私ですらそう思う。
自分の身近な人たちを
前線に送らなければいけない日を
想像するとゾっとする。
●遺骨
「日本軍の遺骨があって、すっごいきれいな海岸なんだけど一部の洞窟みたいなとことかは立ち入り禁止なの」
パラオに行った友達がはなしていた。
硫黄島にも日本人の遺骨が回収されずに残されている。
後始末はまだついていない。
「おかーさん、どうしてあそこの洞窟には近づいてはいけないの?」
という何気ない質問から日本への憎しみが広まったりしないだろうかと
不安になった。
自分の家の近くに外国人の遺骨がちらばってる洞窟があったら
どういう気持ちになるのかな・・・
元首相とかも、靖国に参拝するくらいなら遺骨の回収すればいいのに。
こんなときだけ都合よく千の風なってとんでくるんでしょうか?
参拝する暇があったら骨ひろうくらいしてくれたっていいじゃない?
あたしはそう思うのですけれど。
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