忍者ブログ
[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6]  [7
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

久々に漫画ってすごいなと思った。

絵がここまで下手で、話がいきなり荒唐無稽で。。。なのに読ませてしまう魅力のある作品。

なんだろうこれ。

タイトルと表紙みただけじゃ絶対読まなかったわ。たまたま本屋でお試し版読んでみたらあれ?もしかして面白い???状況の説明や細かい設定を絵で見せるファンタジーでここまで絵が下手なのに、しかも超荒唐無稽な話から入るし、絶対とっつけねーーー!!って感じなのに読まされてしまう不思議。

絵だけじゃない、設定の面白さだけじゃない、料理の仕方!
漫画という表現媒体ってすごい。。。って思いました。

人をひたすら殺戮する巨人の脅威にさらされている世界のお話です。ま、多分、人類だけを殺戮する巨人なんて代物、作ったの人類ってオチなんだろうけど。(人類以外にそんなもの作る馬鹿はいない。)
甲冑きせるとエヴァになる設定だな。。。そっか、ミカサって綾波がモデルなんだな。

願わくは、絵のつくりがうまくなってくれるとアクションシーンとかもっと迫力でるのに。っていうか迫力出せる小道具の設定せっかく作ってあるのにもったえねーー

でも1巻より5巻のがうまくなってるのでよい流れ。
PR
「坂本竜馬が暗殺されなければ日本はもっと違う国になっていたと思う」
という人は多い。
最初に知人からストーリー設定を聞いたときに、この言葉を思い出した。誰が言っていたかは忘れたが、坂本竜馬の死因を知っていたら、現代の脳外科医が江戸時代末期にタイムスリップするという設定が何をねらっているのか思いつくだろう。で、私としてはそのへんがたのしみで最後まで読んでいた。
歴史のたられば。坂本竜馬がもし生きていたら・・・日本はどうなっていたのか。

が、やはり大きな運命には逆らえなかった。というはなし。

「時間というものは、人為的な変更を片端からキャンセルしていくだけの強い力を持っている。」
(村上春樹 「1Q84」)

多分、そう感じている人は多いんだと思う。大きな流れはやはり変えられないのだ。坂本竜馬の生死は世界への影響が大きいのだ。


とまぁ、そんな期待をして読み始めたものの、すっかり作品世界にハマったのは主人公のやることがすべて、第三世界に行った医師がやること、具体的にそういうことなんだという細やかな描写に惹かれたから。私は医者じゃないから本当にそうかはわからないけれど、開発途上国でのボランティアの仕事というのは具体的にいうと仁のやっていることだと思う。
知識はもっている、原理もわかっている、だけど環境がないし道具もない。じゃあ、あるものでどうにかしよう。伝染病の知識が民間になければどうしたら感染を防げるか、指導する。自分ひとりじゃどうにもならないから現地の人の信用と理解を得たうえで協力をお願いする。必要なものがあれば現地の現場の人間に教えて一緒につくる。きっとこれが海外協力の基本なんだと思った。
武士が腹の切開手術に抵抗感があるというのも、なるほど!この時代の感覚だったら確実に盲腸は摘出手術しないって選択する人多いだろね。
相手の目線にあわせて、理解を得ていくにはどうしたらよいかを考える。文化や価値観の違いを乗り越えて知恵を広める。広めることが世の中のためになると思うならば、頭も下げるし命もかける。

ラストで仁がアフリカやアジアの貧困地域に行くという設定ものすごく納得。

竜馬の夢がかなうのも良かった。坂本竜馬がもし暗殺されなかったら船に乗って世界中をめぐっていただろうな。またとない逸材が、結局、生涯一歩も日本を出ることができなかったことが本当に惜しいと現代に生きる私も思うから。
この現実感のなさとか閉塞感とか、孤独とか、そういうのを救済できるのは愛だと唱えた本でした。

ここは見世物の世界 何から何までつくりもの
でも私を信じてくれたなら すべてが本物になる”

この言葉、冒頭に出てきたときは意味がわからなかったけれど、最後にでてきた瞬間、物語がすべて一本の糸でつながったと思った。リトル・ピープルは「みんな」、マザは「本体」、ドウタは「虚像」。空気さなぎは勝手に誰かがつむぎだした空虚な創造物のことだと思う。だけどその中にドウタ(虚像)が生まれて実際にいる人のように動き出す。

どれも今の世の中に実際に存在しているものたちだ。そしてそれらは現実感のなさを私たちに与えている。

世論調査ってのを私は受けたことがない。電話によるとかってついてるけどそんな電話受け取ったことない。でもなんだかテレビではいろいろな人が意見を言っている。アンケートがとられなんだかどうやら首相への支持率が下がっていることを知らされる。自分が全く関与していない。なのにいつの間にか世論ってやつが勝手に決まってる。
少し前になるけれど、朝青龍が自宅マンションに閉じこもったまま出てこなくなった。たかだか一介の相撲取りがマンションから出てこなくて何がいけないのか、サッカーしたぐらい何がいけないのか、よくわからないが知らない間に物事の良し悪しが決まっている。
決めたのはリトル・ピープルだ。民主主義の多数派ってやつなのかもしれない。リトル・ピープルという名はジョージ・オーウェルの「1984」に出てくる独裁者「ビッグブラザー」の対義するものとしてつけられたそうだ。ジョージ・オーウェルの小説当時、世界を支配していたのは独裁者、現在は民主主義の名の下、リトル・ピープルなるつかみ所のないものがこの世界を支配している。

リトル・ピープルは空気さなぎをつくる。それはたまごのようにゼロから命を吹き込んだものではない。ぐるぐると糸をつむいでいつのまにか出来上がっていく虚像。新聞、テレビ、ネットなど、あふれかえる情報を見ていく中で実際にあったことも話したこともないにもかかわらず、朝青龍=悪童の虚像を私たちはいつの間にか作っていた。日本=覇気がない虚像とかってのも当然あって、そういうマイナスなイメージが流布されていて、それが閉塞感につながっている。

この殺伐とした世界から抜け出すのに必要なのは「愛」なんだと。信じたらすべてが本物になるんだと。「愛」さえあればどんな世界でも生きていけるってそんなこたえのお話でした。
<< 前のページ 次のページ >>
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]