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これ読み終わった後に文書にしておこうと思ってここの更新ページを開くときに気がついた。このページのタイトルおかしくない?本のレビューって書いてあるけどいままでレビューっぽいものいっこもないよね。というのも私が言葉の専門家ではないから本のレビューなんてかけないし。言い当ててる言葉なんだろう?読書感想文とも違うしただ本読んで思ったことをつらつらと書きとめてるブログ・・・ということは何かもっと違うアプローチのタイトルにしなきゃならんってこと?とりあえずどストライクでかっこういい言葉がない。

っちょっと思い出したのが書いてるうちにもっと細かく文章の分析とかできるようになって、レビューっぽくなるんじゃないかなとか開設当時思ってたんだった。でも、ここのとこ読んでた村上春樹の「1Q84」。小説家になろうとしている主人公と編集の会話を読んでると、とてもとても奥が深すぎてついていけてなかったり。村上春樹が小説を書くためにしていることがそのままそこに書かれていて、なんて大変な世界なのかと。

それは多分どこの世界も同じで、電通のトップクリエイターも世界の村上春樹も一生勉強してて、それが一生できない、楽しめないなら登らない方がいい山なんだろね。

そういえば102歳で他界したうちのひーばーちゃんは亡くなる直前まで英語とフランス語の勉強をやめなかった。ひーばーちゃんは師範学校の英語教師だった。(よりによって戦時中に)英語教師として、しかも働く女としてどんな時代をくぐってきたか想像はできる。好きだったんだな。。。そんなひーばーさんの娘婿にきたじーさんは勉強する意欲がなくなって一週間もたなかった。ウィルスに侵されて意欲が低下したのか、低下したせいで病気の進行が早まったのかはわからないけれど。
父方のばーさんは勉強というものをする暇がないほど貧乏で忙しかった。茨木のり子の詩にあるように「わたしが一番きれいだったとき 街々は
がらがら崩れていって ・・・」っていう年齢のひとだ。勉強というものがそもそも手の届く範囲にないから、いつもテレビばかりみていた。最期の一週間は本当につらそうだった。こんなことを言うと父にも、祖母にも祖母を生んだ母にも失礼極まりないが、「死んだ方が幸せなんじゃないか?」当時高校生の私にはそう見えた。

人って不思議だ。
勉強とかうごくことが面倒だったり辛かったりするのにそれがないのがもっとつらいのだ。
とにかく、ふたりのおばーちゃんの死に方の圧倒的な違いは当時高校生だった私にひとつの答えを与えた。人は一生、何かを学び続けるのだ。たとえ退職して、体が動かなくなっても。永遠は停止のことであり死のことでもある。

私は生まれた時からすべての学習が常に人より遅れて遅れてこの年齢になってしまった欠陥品だけれど(発達の記録が規定日数に遅れてしまうと面倒な検査を受けなければならなくなる仕組みだったので母子手帳の記録は母がうまいことごまかしてたらしい)、それなりに自分との付き合い方は覚えてきた。どうせ人間いつか死ぬなら山に登り続けた方がいい。


「つくった人にはつくった人のこだわりや自負がある。買う人には買う人の意見や好みや事情がある。コピーライターはちょうどその真ん中にいる。つくった人の味方になることもできるし、買う側の1人になって生活者の目で商品を見ることもできる。両方の立場に立って、よいコミュニケーションを成立させるのがコピーライターの役目だ。」

「コピーライティングの基本は『なにを言うか what to say』と『どういうか How to say』。」

「コピーと時代とは切っても切れない関係にあります」

「いろいろな経験が化学反応をおこして、新たなジャンルのものを生み出す。これが、創造の基本です」

「自分は何が好きなのか」「何をやりたいのか」を武器にすることが大事だと思う。それを武器にして、「正しいこと」を決める“システム”と戦ってほしい」

「ディテールができる職人にしか、本物のグランドデザイン(全体像)を描くことはできないのです。」

以上、ひとまずメモ書き

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スピンオフのインタビュー読んでて笑った。
荻(大手広告代理店営業、九州男児で結婚するなら専業主婦希望という設定のキャラ)の紹介で彼のモデルはちゃんといて、今でも独身で、作者曰く「広告業界に入ったのが間違い。他の専業主婦希望の女の子がいっぱいいる業界に就職していれば今頃結婚できてたのにね」と。

モデルになった人・・・多分、作者の元カレだな(苦笑)

博報堂でCMプランナーやってたらそりゃ、結婚を期に仕事やめないでしょうよ。

あーーーそれにしても、藤井・・・危うくシングルマザーじゃないですか。
でも、女の子が無理してでも働くことで自由とか選択権とか得られるっていう当たり前の結論が最後でて、なんだかんだ納得の最終回でした。藤井・・・のらりくらりと負けない試合続けて結局、恋愛も仕事も子供も手に入れた女になったな。

※短編集なので作品抜粋

『日々移動する肝臓のかたちをした石』
かなり共感してしまったので後ろの方の作品だけど先に書き留めておきたくなった。
恋とか愛とかが実を伴わないかたちでふくらむとやがてそれはただの執着に変わっていて、それに気がついて捨てようとするんだけどなかなか捨てられず、ひきちぎれるくらいの思いをして断ち切ろうとしても過去はやっぱり自分の一部でひょっこりと毎日顔を出してくる。肝臓のかたちをした石は多分、消えたのではなくて彼女の心の中に入っていったのだろうと私は思う。時間が経つと執着は薄らいでやがて、思い出に変わる。その石がなにであったか、「執着」であったと語れるようになる。時間が与える変化はゆっくりとしたスピードで意識したときに愛は執着に、執着は思い出に変わっている。
執着をすてた瞬間って確かにすっごい軽くなった感じがするんだけど、しばらくは油断するとひょっこり顔を出すんだよね。ホント。思い出に変わったって気がついた瞬間は執着の意味すら忘れてるわ。

相手とコミュニケーションをとる中で一緒に育てていった絆は恋とか愛とかがなくなっても多分ずっと続くけれど、ここに登場する彼女(もしくは筆者の彼)の場合、そうではなかった。人との深い関係を避けていたからそれなりのツケがまわってきているとも言える。「肝臓」より大事なのは「明瞭な輪郭を持ち、手応えをそなえた、奥行きの深い感情」。

「大事なのは誰か一人をそっくり受容しようという気持ちなんだ」

なんだかものすごく言い当てられた感がある短編でした。

 

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