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久々にショックな展開になった作品。
テレプシコーラほどではないけど。

多摩美から博報堂入ってCMプランナーから漫画家に転身した作家の広告代理店(っていうか明らかに博報堂)舞台にした働く女子の漫画。働く女が共通で持っているだろう不安、孤独、喜びなどその他もろもろ、言葉ひとつで物事を収めない多角的な視点で描く世界がこれまでの恋愛至上主義の少女漫画を逸脱した作品になっていたりする。
伊東美咲主演でドラマ化したアレは偽物だから漫画お勧め。あんなドラマ全くこの作品のよさを理解してないから。

女子同士の会話の距離感がリアル。さっと結婚して家庭に入るタイプの女子は職場にはいないから、さっぱり女子同士の会話で適度な距離感がある。(本来渡辺とかはさっさと結婚しそうなんだけど、この子がまた結構とがってたりして美女のくせに中々結婚しなかったり、みんな不安を抱えている。)いろんなタイプの働く女が出てきて、みんな登場人物の誰かに共感できるはず。
今の日本の女子って、職場に完成した女の上司ってまずいなくて、いたとしても作中の平野みたいに未婚な上、左遷されてしまっていたりするのがどこの世界でも多いんだと思う。つまり、「ああはなりたくない」と思わせる女の先輩しかいないことが多いのだ。30代くらいの近未来ならいる。だけど40代超えるとほとんど未知の世界だ。
男社会でしなやかに生きる見本を見せてくれる人がいない。キャリアモデルもない。子供を生んでから働く方法も持ってない。男社会に入るって大変だ!
だってセクハラひとつとっても女の子的に「NG」と思っても男の多い職場で多数決取ったら男の意見で何でも「OK」になっちゃう。
男の言うおしゃれな格好って大体コンサバ(例えるなら蛯原ゆり)で、男が良いと思う服は仕事には向かない。そもそも、相変わらず日本企業の女性って「かわいくて扱いやすい」が重要だったり。逆に派遣事務とかで明らかに9時5時で帰りますオーラを出すならそういう武装の仕方のが良いだろうけど。(渡辺ってそういやコンサバ武装してないんだよね。その辺が悩みの種だったのかも)
とにもかくにも男にほめられるための武装なんてしないほうが良いに決まってる。恋愛対象になってどうする?藤井のように「かわいげないね」といわれるくらいで良い。だって、会社は合コンじゃないんだから。

周囲からは結婚しろといわれ、親からは「会社はあなたのために何もしてくれないんだから、帰っていらっしゃい」と確かに言われる人大半。なぜってほとんどの母親がバリバリ働いてはいなかったはずだから。
昔は基本女は腰掛OL、男に「大して役に立たない仕事」とか「くだらない仕事」と言われながらコピーとお茶くみして働いて、3年以内に寿退社、できなければ27歳でお局様と呼ばれる時代だった。男と同等の扱いを受ける私たちの親世代の女性はまれだし、そういうタイプの女性は母親になっていないケースが多いのではないか。なぜって?男のプライドは女に稼がれるだけで傷つくのだから。草分けの50代女性は大変だったはずだ。やっかみの度合いは出世した男のそれの比ではないだろう。当然、そんな女そこいらにほいほいいない。増えちゃった働く女子はみんな孤独だったりする。それが9巻の第一話。

藤井いわく「折り合いがつかない」。働く自分と、母親の背中を見て育った自分(将来こうなると予想していた自分ってとこかな?)。

で、本題のショッキング。水原の自殺。

表現の話になってしまうけど、伏線の張り方がうまかった。電車のホームで一瞬飛び降りるかと思った後にそんなことなくて、泣き崩れて、「なんだ大丈夫だ」と思わせ、藤井が立ち直らせたと思った矢先、いきなりラストに言葉だけで自殺したとなる。
うまい。絵の構図とか流れとかも込みでうまい。

さらに、自殺までの経緯。これかなりドキっとした。「やたらサクサク仕事進めて」「仕事が空洞化してた」っていうミズホの考察が当たりすぎてて怖くなった。(ミズホもそういう部分があるから気がついたんだろうけど)「執着とか思い入れがなくなっちゃってる感じ」。忙しいとついつい表面的になんでも処理しようとしちゃう。
忙しいという漢字は「心」を「亡くす」と書くとはいうけれど、本当にそうなんだと。忙しくて、つらいから、愛情とか執着とか思い入れとか、心の面倒な部分に付き合いきれなくて知らないまに水原は捨てちゃったんだろうね。多分、これってみんな少なからず経験してるんじゃないかな。機会みたいにサクサク仕事進めて終わって帰ったら彼氏が待ってるって理想の生活。
でも、実際は空っぽだった。水原ってまたプライドが高くて、苦しい部分を他人に悟られないようにしていたし、いろいろなものから目をそらしていたし強がっていた。(藤井とか柚木とかミズホもそうだよね。弱み見せるのが嫌)

この点藤井は仕事にものすごくまじめで思い入れがあるのが対比的に描かれる。でも、その藤井ですらこの事件をきっかけに、自分が立っている位置の不確かさに気づいてしまう。みんな不安なんだ。

あ~~でも、ホント、負け犬とか勝ち犬とかそんなのどーでもよくって、キャリアモデルのない私たちはどーしたらよいんでしょう?藤井はどーなるんだ?!という気持ちでもうずっとこの漫画読んでます。
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「サウスバウンド」っていう映画(主演:トヨエツ、天海祐希)やるの知ってます?

「父は元過激派だ」

っていうコピーが気になって
(かといって邦画のはずしそうな映画を
観にいく気にはなれなかったので)
小説、読んでみました。


父は無職(自称:ライター)
母が家計を支え
長女はグラフィックデザイナー

( ̄ー ̄;オイ
伊藤家みたいじゃん。

子供が母親に聞く
「お母さん、何でお父さんと結婚したの?」

あ”~
伊藤家、この質問よく出るんだわ。

“結局、似たもの同士で結婚したのだ”
(息子モノローグより。)
そうそう、そうなのよ~~


父母実は駆け落ち結婚、
母親の家金持ち、
従兄弟たちは私立に通い・・・

おいおいおいおいおいおいおいおいおいおい
モロうちみたいじゃないか。

伊藤家父母は駆け落ち結婚。
母親の家が超学歴社会で父は高卒だったので
じーさん(母の父)激怒。
つーか、親戚一同大反対、みたいな?
案の定、ばーさんが父とじーさんの間に入って
何とか仲裁しようとしていたらしい。

というわけで、伊藤家は母方実家に行くと
毎回おいしいものが食べられて
お小遣いもたんまりもらえて
冠婚葬祭の服も高いやつを用意してもらえるのだ。

家も一軒家で広いし庭もあるし
立地も井の頭だし。

で、案の定、この小説と同じように
子供の頃から母方実家には憧れていたが
住みたくはなかった。
毎日習い事やら勉強やらを強制させられ
高学歴の大人に囲まれて暮らすのは無理。
あの温室の空気は場違いな感じがしてイヤなのだ。

この小説、その感じはすっごいよくでていた。
あ~~わかるわかる、みたいな。
母実家の大人たちは子供に
“どんどん(肉)食べていいのよ”的ノリで
自分の父親は子供とでも肉を取り合う・・・ってのが
伊藤家的には妙にリアリティがあるのだ。

そんでもって父親と母方実家のそりがあわない。

アタシが前十字靭帯切ったときなんかは
日常生活ができるようになるまで
ヒミツにしていた。
また、スキーは危ないだの
オヤジのせいだの言い出しかねないので。

大体、あの家は擦り傷一つで大騒ぎするのだ。


話がずれぎみだが
とにかく、この小説に登場する上原一家は
伊藤家に似すぎていてうける!!
伊藤家をさらに激しくしたカンジだ!!!

母は再婚とかしてないけどね。
父母べつに学生運動してなかったけどね。
(父は大学いっとらんし、母は山に行ってばっかだったし)


おまけ:
「お母さんは昔、御茶ノ水のジャンヌ・ダルクって呼ばれてて」

ゲッ( ̄□ ̄;!!大学まで同じかよッ
って独りで突っ込んでバカウケしてました。
●子供ってたくましい。
というより、あの戦火の中で生き残ったからなのかもしれないし、
あの中で育ったからこそたくましいのかもしれない。
頭が良くて柔軟でタフな子供しか生き残れない。
“全身の細胞が『生きろ』と叫ぶ”感覚がないやつは自然淘汰されたのだ。

先日の奈良の事件にしても、今の子供は弱すぎる。
父親との葛藤なんていつの時代にもあったはずだし、
どうしようもない行き詰まりなんてきっと古今東西誰にだってある・・・・・

何より、この本が一時期話題になったのは、世代をこえて、少年の心情に共感する部分があったからなのでは?・・・・少なくとも私は共感できた。
学校で教える戦争はひたすら暗くて「ほしがりません勝つまでは」が代表で、子供は大人の考えにみんな洗脳されてたものと思った。
少年の心と生活に戦争は深く影響を与えていて、でも、根っこの部分で少年は私たちと同じ感じ方をしていて、戦争ってこういうものなのだなと身近に感じられた。

ゆとり教育なんかしてる場合じゃない。エネルギーはあまっている。
子供ってこっちが思っている以上にたくましいのだから。


●父
この賢い父にしてこの子あり。そんな感じ。
息子の「なぜ?どうして?」という質問が彼の命を脅かすことになると早い段階で判断し、家の外でそうしたことについて話すことを禁じている。しかもそれはやわらかく状況を判断して対応し、結果的にキリスト教を信仰する一家を戦火の中、彼は守り抜いた。


●鬼畜
太平洋戦争の体験談を読むといつも思う。
なぜ、民家が爆撃されたのか。
原爆は本当に使う意味があったのか。

うちの祖母の体験談読んでいても思った。
B29が狙った相手は誰がどうみても一般市民だ。
焼夷弾にしても、木造民家向けのものと鉄筋コンクリートの工場向け用のものがあるというのはどういうことなのか?
戦争の根を絶つつもりなら攻撃は工場だけでよかったはずだ。
工場の場所が分からないというなら
なぜ、“民家用の焼夷弾”が投下されていたのか?

炎に焼かれて子供が死ぬところなんて想像もできない連中がこの世界にはたくさんいる。
日本も負けじとその歴史は残虐だ。

戦争は負けた方が悪い。
勝てば官軍は百も承知。
参戦の判断を誤り、自軍の力を見誤り、退却時期まで逃した政府には重い責任があるし、
狂気に走った軍を神の力をもって止めなかった天皇の責任も重い。
また、世の中の流れを見ているだけで何もしなかった国民全てに責任はある。

それでもやっぱり、あの、空襲の体験談を読むといつも感じる
「どこのだれかもわからない人に死ねばいいと思われている感覚」、
体験談の主が子供だったりするとなおさら、
原爆や爆弾を落とす連中を「鬼畜」と呼びたくなる。
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