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「売り買いによる自由ではなく
剣にかけて あなたの誇りのために戦った
あなたは自由だ」

かっこいい~~~~~この台詞大好きです。
「風の谷のナウシカ」、「もののけ姫」の原型が見える。そもそもの原型はチベット民話らしいが・・・。まぁ、宮崎駿ってなんとなく中央アジアから中東にかけての地域が好きなんだなぁという印象はあったから別に驚かないけれど・・・。


●単純に利益を求めた先にあるもの
“山から吹きおろす風は
うすい空気をさらにうすくし
陽の光も谷をあたためてくれない
乾いた土をひっかいて
ヒワビエの苗を植えても
やせた大地はわずかな実りすら出ししぶる
ヤックルはとぼしい草にいつも飢え
なかなか子を産もうとしない・・・・”

“なんて 悲しく 貧しい 人生だろう
なんて 美しく 無慈悲な 自然だろう”

こんなふうに主人公シュナは自分の国の未来、人々の生き方を憂える。そうして旅に出るのだ。少しでも良い生活を谷の人々にしてほしい、そんな切実な願いをもって・・・
人はかつて金色の麦を育てていた。自給自足できたのだ。だけどそれを手放した。なぜかというと人を神人に差し出し、死んだ麦を得た方が効率よく簡単に食物が手に入るからだ。
差し出される人間は弱者。城壁に守られた街に住まず、谷や高原で地道にヒワビエを育てる人々。
この構図は見覚えがある、今の世界だ。
実際に作業をして何かを作るよりも人の上に立って指示を出す人間の方が給料がいい。もちろんどちらの仕事がいいとか偉いとかそういう次元の話ではない。
ただ、指示を出す人間が給料の指示をだすのも当然なわけで、だからもちろん、上に立つ人間が儲かる。
先進国の会社が途上国に工場を建てる話は珍しくない。そのほうが人件費も何でも安くあがる。
地道で面倒で、でも必要な仕事はいつだって城壁の外にあるのだ。
金の麦は人の命と引き換えに手に入る。城壁のそとの人間を神人に渡すことに城壁の内側の人間は何も思わない。人ではなく、利益が優先する。
今世界中で起きている戦争がこれと同じ構図かもしれないと思う。資本主義国の多くは軍事産業により成り立つ。戦争をしなくては生きていけないのだ。だから人を殺す。人を殺すための武器を作る。子供が死のうが子供が殺そうが、遠い海の向こうにある見知らぬ国の知らぬ民族の親の子供など知ったことではない。生贄なのだ。彼らは。私たちが豊かに暮らしていけるための、金の麦を何もしないで手に入れるための生贄なのだ。
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カンボジアの伊藤家に行ってまず最初に渡されたのが
「密林少年」というヤングジャンプの漫画でした。

カンボジアのポルポト時代が一体何であったのか
わかりやすいのいうので
とりあえず読む・・・

なけた・・・(;_;)

少年兵だった主人公が
平和になったカンボジアで最後に
「こんな日もあるんだなっておもって・・・」
というシーンで思わずホロリときてしまいました。

その後ゆっくり考えました。

うちの母方ばーちゃん(健在)は近年海外旅行にはまっています。
じーさんは出不精なので大体、彼女の友人と行ってきている。

そんなばーちゃんは太平洋戦争時代に
疎開するために乗った電車が一晩
米軍の爆撃を受け車外の田んぼに非難。
焼夷弾を一晩浴びたことがあるそうな。

終戦直前、当時の日本政府は国民総玉砕をうたっていたので
半年後、自分は多分、生きてはいないだろうと思ったそうだ。

防空頭巾をつけて空襲に脅かされて
逃げ回っていた少女が
今や海外旅行で開発途上国にまで足をのばしている。

平和だ。

と思った。
戦火にさらされた国にも
こんな日がくることもあるのだとちょっと実感した。

今、イラクで戦火にさらされている子供たちにも
そんな未来があるのだろうか?
生き残りさえすればきっとあると思いたいが・・・
カンボジアの伊藤家に行ってまず最初に渡されたのが
「密林少年」というヤングジャンプの漫画でした。

泣いた。
ほんとショックだった。
これだけ長い期間に渡って登場していたのに・・・・

従来のバレエ漫画(昔この作者も描いていたようなの)と違って
教育、“育てる”という立場に立ったかなり珍しい漫画。
この子はどう育てたらよいのか、
周りの大人が必死に考えて
自分なりの回答で子供を育てているという
なかなか面白い漫画。

従来のバレエ漫画はスポ根同様、主人公は自分より強い(上手い)キャラにコンクールとかで勝って次の相手が登場するのが定番的展開。ローザンヌが舞台になったりしやすい。(オリンピックみたいな世界一決定戦がないからやろうと思えばいくらでも長く連載できた。)

「SWAN」有吉京子、「アラベスク」山岸涼子あたりを読んでいた読者が親世代になった・・・ともとれる。


●知らないことは教えられない
千花が自殺するまでの状況、不安定な心理状態を丁寧におっている。
内容がタイムリーすぎて怖い。

怪我してできなくなってしまったときに
「大丈夫だよ、すぐ元通りになるよ」とか
「あんたなら平気でしょ」
みたいなこと言われるのって辛いんだよね。
元通りってまずありえないから(苦笑)
私も怪我する前は怪我した人の気持ちってぜんぜんわかってなくて
こういうこと平気で言ってたかもしれない。
だから悪意がないのはわかるんだけど・・・

たとえばこれが高校生くらいの子だったら、
耐えられなかったかも・・・。

子供の視野は狭い。
自殺の理由の答えはおそらくいじめではないのだ。

千花は怪我をしてバレエが踊れなくなったにも関わらず
周囲にバレリーナでいることを強要された。
母親も周りの大人もバレエ関係者ばかりで
彼女に人生における他の視点というものを教えることができなかった。

母親の嘆きに作者が伝えたいことが伝わってくる。

自分が知らないことは子供には教えられない・・・のだ。
医者は自分の息子を医者にしようとする。
歯医者の息子は歯医者になろうとする。
画家の娘は画家に、教師の子供は教師に、
スポーツ選手の子供はスポーツ選手に・・・

なぜなら、親が成功した道なら成功する可能性が高く感じまた、
イメージがつきやすいのではないだろうか。
親も自分の子供にはちゃんとした生活を生涯送ってほしいと思っているから
ちゃんとした生活をしている自分の人生を
子供に押し付ける傾向にある。

では、ちゃんとしたと親が思うような生活に
どれだけの回答例があるかというと
一つだけなのだ。

学校にちゃんと行く・・・というのも
大人たちが勝手に作った回答例で、
100人の子供が全員その回答を
出さなければいけないわけじゃない。

10人がいたら10通りの回答がある。
それが人生というもの。
学校は昔だったら・・・・・できた当初は、
親の職業から離れて別の選択肢も
あることを知る場所だったはずだ。
少なくとも、第三世界の学校には
そういう意義があるものになっている。
なのに、最近では視野が広がるどころか
狭まる場所になってしまった。

私は親の職業と全く正反対の職業に就いた。
深夜残業、徹夜に休日出勤・・・・就職当初はオヤジの猛反対にあった。
12時すぎに帰宅してそこから毎晩ケンカ。
さらに睡眠時間を削られて消耗する私を母親は心配していた。

23歳にもなってはじめて、親と本気で衝突した。
親と違うものになろうとしたわけではなかったけれど、
いつのまにか私は親の思考の範囲から出てしまっていた。

議論のはては「世の中に本当に貢献する職業は何か」
というところまでたどり着いた。
貢献する相手も不明確なままだけど
母親は「教育だ」という。(教師だからな・・・)
父親は「海外協力だ」という。(現在はNGO)

残念なことに私はデザイナーが生まれる家には生まれてこなかった。
ここから先は自力で考えなくてはならない。

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