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ゆとり教育とかバブルのせいではないと思うけれど、自分、依存症発揮しちゃってると思う。
こうやって明文化されると考えやすくなる。と思った。

仕事は創るもの考えるもの自分からうごくもの。



高校んときとかは、コーチとか監督とかいない陸上部で自分でメニュー組んでレースにエントリーして一人で走って都大会までいったけど、結局、練習相手とかコーチのいる私立の陸上部はうらやましかった。男の後輩どなったら誰もついてこないし。
途中でどうしてもタイム伸びなくなって苦しかった。ウォッチ持って計って一人マネージャー&選手みたいな。一番ピリピリして人に迷惑かけてた時代だな。私立の選手より自分が強いって自負があった。全部自力でやってるっていうプライド?みたいなのがあった。コーチとか環境とかに走らされてるんじゃない、自分の意思で走ってるんだっていうプライド。だから走らされてる連中に負けるのは悔しかった。格好いいと言ってくれる後輩はいたが好いてくれる同期はいなかった。(むしろ嫌われ者)
それでも、あのときああしていればもっと速く走れたかもとか思い出して後悔することがある。嫌われ者だったことは非常に残念だが、どちらかというと客観的にもっと分析してトレーニングできていればと後悔することの方が多い。とはいえ、当時の私は強力な監督・コーチのいる部で強いなんて本当は強くないとか考えてたから客観的に分析してくれるコーチなんていらない!って今もどっても思うと思う。(やっかいだね)
中学はいい先生に恵まれたおかげでテニスで都大会ベスト16までいけたけどそれって先生のおかげじゃんって思ってて、高校では自力ですって胸張っていえる賞状とか優勝カップがほしかった。(子供だね)
思えば反省の連続。
もっと他人を巻き込むべきだったとか、客観的に自分で分析すべきだったとか、最後のほう建て直しきいてなかったとか、強くなるには部活自体強くしなきゃならなかったんじゃなかったとか、人の心に届くのは怒鳴り声じゃなくて語りかけだったんじゃないかとか。
「命令するんじゃないの、お願いするの」
当時のおかんの名言↑
結局、嫌われてたくらいの方が緊張感あったなって思い出した。絶対結果ださないとってなるから。結果だすと余計嫌われるんだけどね。(←高校生は馬鹿なので自分の結果誇示すること以外考えてない)

あのころのが自分で動いてたかも。

依存症にかかったのはいつだ?
社会人になってからか?

とにかく、意識してぬけださなければならない。
 

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知能産業の価値を明示してお金を稼ぐか。
知能産業を成り立たせるには何が必要か。

「ある広告人の告白」は国際的な大手広告代理店オグルヴィ・アンド・メイザーの創業者の著書。いかにして知恵をお金にかえることを認めさせてきたのかが書かれている(と私は思う)。
「ブランド」は現在、日本の最前線でそういう戦いをしている二人の対談。(だと私は思う)

デイヴィッド・オグルヴィはクライアントに対してうそをつかない。自分の仕事に対して一点の曇りも曖昧さもない仕事、ソリューションを提供して堂々とクライアントに同じ目線でものを言う。賢いクライアントは彼の言葉に耳を傾けるし、賢くないクライアントは彼の元から去っていく。そういうことを勇気を持って堂々とやってのけたから広告をつくるという仕事自体が知能産業として社会的に認められていったのだと思う。おべっかを使ったり下に構えたりしない。提供すべきものを提供して堂々とものを言う。それがプロなんだ。

21世紀は知恵の時代になるんだと思う。単純な計算や事務処理はコンピューターがやってくれる。資料をひたすら集めるのも簡単だ。ただし、集めた資料から的確な情報を取り出して仮説を与えることや、何と何を足して割って計算すれば目的の数値にいたるのかというプロセスを考えることができるのは生身の人間だけだ。

ウェブのソフトを使っていると時々思う。よく人に「そのうちこういうのイラストレーターみたいに誰でも簡単にできるようになるんじゃない?」といわれるけれど、残念ながらそういうソフトが出るのは100年以上先になりそうなるんじゃないかと。そこそこのものはできると思う。ただ、それは今すでに出ているソフトの領域は超えないだろうと思う。なぜかというと、誰でも簡単に高度なコーディングができるソフトというのはコーディングをしてみればわかるが、ありえない。コーディングの処理で一番難しいのは命令をいくつか組み合わせて検証して目的の動作にいたることだか、そこにはアイデアがいる。そしてそのアイデアはコードの組み合わせで無限大に存在している。それをすべてカバーするソフトを開発するのは馬鹿げている上、結局、命令の使い方を覚えなければならない点において、素手で作るのと何の変わりもない。命令をコピーして順番どおりに打ち込むだけのソフトなんて不必要なもの誰も作らない。中途半端にある動作アイデアだけを詰め込んだソフトは限界を規定するだけだからプロは使わないだろうし。あって便利なのはリンクの整理ソフトとかリキッドレイアウトソフトぐらいか。。。プログレッションってそうだけどね。すでに。
ウェブコーディングにおいて知恵の領域が計算処理ソフトによって侵されることは当分ないと思う。

ということは、岡康道さんと吉田望さんの言う“ウェブはシステム屋の感覚でうごいている”状態が当分続いてしまうということになる。広告業界とシステム屋の摩擦って始末悪そう。広告とウェブ両方わかる人がでてこないと駄目ってことでしょ?すでに出てきてるけど純粋に広告屋じゃないというか、ウェブ自体、広告媒体としてどうやって扱っていこうかって開発途上中。一瞬でリンクでとばれちゃうからグラフィックに近いことになっていくとは思うけど。ツイッターとか使ってちょっと手の込んだコミュニケーション試みているが効果はどんなものなのかと思うし。
とりあえず他のメディアで言い切れなかったら、とりあえずウェブにつめこんどきますってクライアントの説得の仕方はやめてくれ。ウェブが広告メディアになれなくなる。
でも、お金のないクライアントにとっては頼みの綱みたいなメディアじゃない?やはり広告業界におけるウェブの活路はマイノリティからの発信にある気がする。

はなしは戻って

日本の広告業界が異常な労働時間なのは知能産業という自覚に欠けているからなのかもと思った。まっとうな知恵を提供していたらもっと堂々とクライアントと話せるはず。「それは御社のためになりませんよ」って。自分たちのソリューション(製品)に自信があってスケジュールがしっかりたてられていたら直前になってクライアントが怖がって案を無難と思われるものに変えたりしたせいで徹夜作業とかそういうのなくなるだろうし。

大きなところはそこだけどまずは身の回りから。
自分の領土は自分で守るのだ。
「どんな時にカップヌードルが一番うまいか?やっぱりハラが減ったときが一番うまい。それが基本だ」

「単純手法の背後に執拗な表現意欲が隠されているわけです。」

「あそこまで完成度が高くなると、もうトーンでしゃべっちゃうんだ」

「前のものと違うものを作っていこうという考え方のテーマ。もうひとつはこれで攻めようという明確な目標を設定して、全力をあげてそれに近づいていくというテーマ」

「僕は広告作りのプロに徹して、グラフィックデザイナーとしての自分の好みを思い切って捨てた。そこで生まれた明快なコミュニケーションが、ある程度の評価につながっているのかもしれないって気はする」

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