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主人公二人を一章ごとに互い違いで立場を変えてストーリーを進めていく手法はアーシュラ・ル・グゥイン(ゲド戦記の作者)の小説の特徴。村上春樹はグゥインの影響を認めているし、1Q84はグゥインのこの手法がなければ絶対におもしろくならなかったはずだ。もちろん手法だけじゃない。内容そのものにもグゥインの影響がみられる。だけどこれは村上春樹の世界だ。

村上春樹が「愛が人を救う」といえばなんかハリウッドに言われるより納得してしまう。納得するだけの裏付けが綿密に書かれているからだ。

村上春樹が小説家として、文章のプロとしてどういうことを具体的にしているのか、気にしているのかということが天吾を通して書かれているなと終始感じた。現実に置き換えれば、「空気さなぎ」はまさにこの「1Q84」という小説そのものだ。脳死的な状況に投げ込んだ問いかけなのだ。今みている現実は本当にそうなのか。何か大事なことを見落としているもしくは、見えないふりをしていはしないか?と。

「宗教とは真実よりはむしろ美しい仮説を提供するものなのだ」

それはまさしくパンドラの箱なのだ。パンドラの箱だの知恵の実だの、昔の人は良いところに気がついている。無知のまま死ぬことはある意味、一番幸せなのだ。知恵の実を食べてしまったために不毛の地を生きることになったアダムとイヴ。蓋をあけたらありとあらゆる災いが出てきてしまったパンドラの箱。人の好奇心は人に不幸をもたらすが、「無知でよいのか?」と村上春樹は問いかける。パンドラの箱の底から最後に出てきたのは希望である。昔の人はうまいこと考えたもんだ。

どれだけ厳しい現実を突きつけられても、自分の中心がある人は絶対に強いとも小説は語っているとも思う。青豆にしろ天吾にしろ、それが愛だったのだと極限の状態になったときに気がつくのだ。

「非力で矮小な肉体と、翳りのない絶対的な愛」
(中略)
「とうやらあなたは宗教を必要としないみたいだ」
(中略)
「なぜなら、あなたのそういうあり方自体が、言うなれば宗教そのものだからだよ」




(以上、とりあえず。長くなるので後日加筆予定)
 

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