[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「生」とは常に変わっていくことで「死」は全てがとまること。作品の中で描かれる死の世界というのが面白い。とても哲学的。傷つきたくないなら、「こうしたい」と思わなければよい、動かなければよい、望まなければよい、でもそうして完全に全てのものの変化を拒絶したらその世界は死であると。
強さとは自分の弱さを知ること、受け入れること。自分に、弱くて凶暴な本来受け入れがたい部分があることを認識することである。何かに躓いたときほどそれは鮮明に現れる。それが作品の一巻で語られる内容である。悟りを開いたものにのみ、魔法は使えるのである。
この魔法の概念も面白い。全ては本当の名前を知ることに始る。つまり、彼らは研究者でものごとの本質を捉えることができればそのものを支配することができるというのだ。変身の技も面白い。変身してそのまま自分を見失えば変身をとくことができなくなってしまう。このあたりの設定は哲学的で面白い。
二巻ではテナーと暗闇の戦いがあり、三巻ではレバンネンが己の弱さと世界の闇を知る旅に出る。
レバンネンの持つ黄泉の国の石が虚無でひりひりするのに後生大事にしている理由、彼がそれをいつも持ち歩くのは彼が王として道を誤らないよう、自分の心に虚無と人間の弱さ・脆さを覚えておくためだ。
恐怖は意思で克服できる。まるで宗教思想のようである。
日本の幸運は坂本竜馬という人物が己の欲するところを
よく理解していたところにあると思う。
権力が欲しい
お金が欲しい
よくお金や権力が俗世間的でそれを欲しない人は俗世間から離れた人といわれるが私はそうは思わない。お金とか権力とかってのは結局は手段でしかないのだから。
生活するのにお金が必要でより多くのお金を稼ぐために生活をこわしてしまったら本末転倒だ。問題は何のために稼ぐか・・・だ。お金は自分が「こうしたい」と思うこところに対する手段でしかない。「お金が目当て」というのは意味不明なのである。
よく、たくさんのお金をもって入ればお金に悩まされることはないと思っている人がいるが、どんなにたくさんのお金を持っていても計算しなくなると破産するものだ。確かに、お金の計算は生活のなかで煩わしい部分かもしれないが、お金持ちがお金について考えてないかと思ったら大間違いである。むしろ逆。貧乏人よりお金にとりつかれている人間は多い。
坂本竜馬は海で生きたかった。
それが最後まで一貫していたのだ。
自分のやりたいことがはっきりしていて、それをするために世の中と自分をすりあわせていったのだ。
これのどこが無欲だって?
超自分勝手&貪欲じゃないですか。
お金や権力という「手段」に彼は執着できなかったのだ。
大久保・西郷なんかはこういうところまだちょっとうといカンジで彼が維新後の実権や役職を望まないことに驚く。物心ついたときから頭の片隅にあった「お金」というものの本質を覆せる人間は少ない。というより、お金以上に大事なものを見つけることがほとんどの人はできない。別にお金がいらないわけではない。手段として考えることができるかの差である。
手段と目的の境界線がはっきりしている人をはっきりしてない人が見ると「俗世間離れしてるなぁ」と思うわけである。
正直、途中でつまらなくなって読むのをやめようかと思ったけれど、薩長同盟あたりから面白くなりだして最後は一気。
あとがきで竜馬が有名になった経緯を書いているが、何気にこの小説こそ、坂本竜馬を有名にしたきっかけのような気が・・・・。自分の好きなものを好きなだけ探求し、その魅力を世間にあますことなくアピールし、世間もそれを受け入れた。物書きとしてこれ以上の成功があろうか。
●無血革命
実は私は日本史というものをほとんど勉強していない。
世界史は普通の高校生よりかなり真面目に勉強したし、欧米の歴史物の映画のために資料を読み込んでいたので教科書+αの知識もあるほうだと思うし、大体の流れはつかんでいる。
小学校でも中学校でも日本史が嫌いで勉強できなかった。普通はカタカナの名前を覚えることが苦手らしいが、子供の頃から映画(洋画に限る)漬けで育った私は日本人の名前、漢字のほうが覚えにくい。何より、日本史には興味を持つきっかけがなかった。
両親はどちらかといえば左。祖母はその時代に育った人間なのでもちろん右寄りといってよい。双方さほど極端ではないけれど、かこまれて育った私は日本史に対して良い印象をまったく受けていなかった。
祖母から聞く戦争の話。大人たちから聞く、戦争の話。
「日本は負けてよかった」とか「政府がバカだった」とか、そんな印象ばかり。あまり楽しい話ではない。
対し左側。
「日本は失敗した」、「アメリカの犬」「くだらない国」。そんなことばっかり聞かされた気がする。
何より、この国には魅力的な女傑がいなかったから、なおさら興味の外になってしまった。
イギリスにはエリザベスやヴィクトリア、オーストリアにはマリア・テレジア、ロシアのエカテリーナ・・・・フランスの聖女(軍人?)ジャンヌ・ダルク、エジプトのクレオパトラ、ネフェルティティ、中国の西太后、世界史では女が活躍していてその功績は男にも勝る。明らかにただものではなさそうなあたりが面白い。
だけど、世界史は、勉強すればするほどに、その血なまぐささが肌で感じられるようになった。よく、「歴史の教科書は行間をよめ」とかいう人がいるけれど、それは血なまぐさすぎて高校生のある時期完全に失望していた。
今はもう、歴史や世界のリーダーに対して妙な理想の持ち方をしていないからそういう感じ方をしなくなったけれど。
日本には神風が吹いた。そうとしか考えられないような奇跡がこの国にはおきたのだ。
日本は無血革命を遂げた世界でも稀な国。
革命がもし、欧米のそれのように混乱のなすがままに起こっていたら、日本はきっと西洋各国の思うツボだった。革命成功しようとも、無血でなければ同じように国力がなくなり統一国家としての強さもなく、分断され西洋の王に統治され植民地となっていただろう。薩長同盟、大政奉還・・・・そのどの段階の綱渡りですべっていても日本は植民地にされていたのである。
日本は西洋に植民地化されなかった数少ないアジアの一国である。その理由を私は四方を海に囲まれているからだと安易に思っていたが、よくよく思えばフィリピンやインドネシア、フィジーなんかも海にかこまれている。決してその地理的条件だけが原因ではないはずなのだ。
「神風」というと右翼的な印象が強く、現実的ではないし、私自身、信じる神様などいないが、坂本竜馬というまれな才能にめぐまれた人間があの時代、あの場所に生まれ、ことを為せた奇跡を思うと、神風が吹いたとしか思えないのだ。