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日本の幸運は坂本竜馬という人物が己の欲するところを
よく理解していたところにあると思う。
権力が欲しい
お金が欲しい
よくお金や権力が俗世間的でそれを欲しない人は俗世間から離れた人といわれるが私はそうは思わない。お金とか権力とかってのは結局は手段でしかないのだから。
生活するのにお金が必要でより多くのお金を稼ぐために生活をこわしてしまったら本末転倒だ。問題は何のために稼ぐか・・・だ。お金は自分が「こうしたい」と思うこところに対する手段でしかない。「お金が目当て」というのは意味不明なのである。
よく、たくさんのお金をもって入ればお金に悩まされることはないと思っている人がいるが、どんなにたくさんのお金を持っていても計算しなくなると破産するものだ。確かに、お金の計算は生活のなかで煩わしい部分かもしれないが、お金持ちがお金について考えてないかと思ったら大間違いである。むしろ逆。貧乏人よりお金にとりつかれている人間は多い。
坂本竜馬は海で生きたかった。
それが最後まで一貫していたのだ。
自分のやりたいことがはっきりしていて、それをするために世の中と自分をすりあわせていったのだ。
これのどこが無欲だって?
超自分勝手&貪欲じゃないですか。
お金や権力という「手段」に彼は執着できなかったのだ。
大久保・西郷なんかはこういうところまだちょっとうといカンジで彼が維新後の実権や役職を望まないことに驚く。物心ついたときから頭の片隅にあった「お金」というものの本質を覆せる人間は少ない。というより、お金以上に大事なものを見つけることがほとんどの人はできない。別にお金がいらないわけではない。手段として考えることができるかの差である。
手段と目的の境界線がはっきりしている人をはっきりしてない人が見ると「俗世間離れしてるなぁ」と思うわけである。