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“頭が良いということは誰かにとって都合が良いということだけで、それ以上の意味はない”

あぁ、きっとそうだな。

この世の中に絶対のものなんてなくて、どんなに強そうに見える盾を持ったところで、世界の価値観が変わってしまったら何の役にも立たない。バカなのは、いまある自分の盾を過信してしまうことなのだ。

日本にはこの100年の間に少なくとも二回の突然の転換がおきた。ちょうどそれは、一世代につき一度の確立であると思う。
一度目は第二次世界大戦の敗北。ある日を境にして神と崇め、盾としてきた国家が突然消えてしまった瞬間。
二度目はバブル崩壊。ある年を境にして、仕事、能力の価値観が一転してしまった。

そのたびに、あたらしく盾をつくることを強いられてきた。


私が思うに、キジマは団塊周辺の世代。日本の戦後復興の中で第二次産業に従事し、急激な経済成長に貢献。しかし、「復興」時代にしか通用しないやり方でしか仕事ができず、過渡期に失職する・・・・・
対し、コジマはバブル後の世代。子供時代に親世代のバブル崩壊やリストラを目の当たりにし、卒業直後に就職難に悩まされてきていて大企業の名前や安定した収入の職業より専門性の高い“手に職”的職業にこだわる。働いて楽しい楽しくないが基準のため、すぐ辞めたり青い鳥を探したり、好きなことがみつからないとひきこもったり・・・・・

私たちの世代はまだ、盾の崩壊に立ち会ってはいない。
専門性が高ければそれに対して需要が必ず発生するということではないので、闇雲に手に職と思い込み、崩壊寸前の盾(技術)なんて身につけても生き残れない。だけど、時代がどう動くかなんて少しの予想はできるけれど、どの業界だって不確実な要素はいくらでも含んでいる。今という現実は偶然の産物なのだから。
無常。価値観は流転する。いつか盾は崩壊する。まったく違う価値観に対処することを強いられたとき、私はどうするのだろうか。

専門性の高い技術をもつことで手に職をつけて手堅い盾を手に入れようと思っていた。でもそれは良く考えると甘い。何にでも対処できる絶対確実の盾なんてこの世にはないのだ。大切なのは自分の盾を知ること。
改めて、自分の考え方の危うさに気付かされた。そんな一冊。
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