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ここにきて、物語全体を振り返ると作品の意味がなんとなく見えてきた気がする。六花はなぜバレリーナになれるのか。

●才能は生まれる場所に生まれること
運も才能のうちとよくいうが、運こそ才能そのものなのだ。バレエのみの話ではない。本人の苦労や能力以上のものの力が作用している。

六花は姉の千花に比べて気力ない、能力も明らかに劣る、確実に劣勢の子供だった。おまけにバレリーナとして欠点を抱えていて、小学生のうちにもうなれないであろうといわれていた。にも関わらず、千花は怪我を繰り返し不運が重なり重圧に耐えかねて自殺。
六花のクラスに転校してきた天才的才能を持つ空美は自宅の経済状況からバレエを続けることは困難だったし、親は彼女の才能に興味が無い。(第二部で登場する可能性もなきにしもあらずだが、登場してしまったら面白くないかも)
ひとみは上手にバレエを踊ることもできるし才能も家庭環境も揃っているが体型がバレエに適していなかったため無理なダイエットで体調も精神もバランスを崩してしまいバレエをやめることとなる。
桜子は受験前に自分の適性に限界を感じて辞める。

おそらく、次は茜だ。強気で能力あるし体型もバレエ体型。家庭にも問題なさそう。だけど、最後のチャンスになるローザンヌ前に体調を崩している。この子も消えることになるかもしれない。

テレプシコーラが並みの少女漫画と一線を引いているのは主人公がライバルと戦って勝ち進んでいくとかいう話でない点だ。成功者の才能というものを長い時間をかけて冷静に浮き彫りにしていっている。そこに教育者の視点が入っていたりして面白いのだ。

才能とは生まれるべき場所に生まれ、受けるべき運命を受けることなのだ。

例えば、アフリカのナイジェリアあたりに相撲の才能がある人が生まれたとしよう。その人はどうやって相撲を知ることができるだろうか?テレビも衛星放送もない場所に生まれたら一生、相撲など見ないだろう。
これは極端な話だけど、つまりそういうことなのだ。

空美は覆せないほど貧乏な家に生まれた。この時点で彼女は能力はあるのだろうが、才能はないのだ。言ってしまえば運である。
千花は靭帯を損傷した時点で才能がないし、ひとみはその体型に生まれてしまったことが才能がないことになる。一見、才能のある子がどんどんこうして消えていく。一見、最も才能がないと見られていた六花は生き残っている。天命は彼女に下っている。股関節のソケットが深いため開脚が完全にできない不完全な体型に生まれ、性格的にも全く期待できない子供であったにも関わらず、気がつけばローザンヌ本選に残っていたり。成功者になる才能だけを持っている気がする。

才能がないというのは一種の運命的なものであって、能力がないこととは違うから、悲観せず、運命を受け入れて欲しいとこの作品はそんな意味にもとれるのだ。
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